|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 井 : [い] 【名詞】 1. well ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November) ・ 教育 : [きょういく] 1. (n,adj-no,vs) training 2. education ・ 教育者 : [きょういくしゃ] 【名詞】 1. educationalist ・ 者 : [もの] 【名詞】 1. person
浅井 淑子(あざい よしこ、1917年7月 - 1980年1月4日)は、教育者、服飾研究家、学校法人浅井学園元学園長、専門学校北海道ドレスメーカー学院初代院長、北翔大学の前身にあたる北海道女子短期大学創立者。 == 来歴 == 北海道札幌市生まれ。叔父を頼って上京し、1934年東京国華女学校卒業。その後、東京女子医学専門学校に合格し、札幌に帰るも、父に反対され女医の道を断念。生家の家事を手伝いながら、近くの塾で洋裁を学び、再び上京して、1939年杉野ドレスメーカー女学院師範科卒業。同女学院で学んだ洋裁技術を生かし、同年、両親の反対を押し切り、無理に金策してでも゛女性の腕に職業を、そして自立の意志を″という強い願いを込め「北海ドレスメーカー女学園」を創立。園長に就く。1947年浅井猛と結婚。実業界で鍛えた猛の経営手腕を生かし、教育事業拡大を展開した。1950年杉野学園ドレスメーカー学院に再入学し、杉野芳子から学校経営のノウハウを学び、デザイナー科を卒業。1957年学校法人浅井学園学園長。1960年名寄女子短期大学家政科助教授(~1963年)。1963年「北海道女子短期大学」開学に夫・猛と共に関わる。同年、北海道女子短期大学服飾美術科教授・同科科長(~1980年)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浅井淑子 (教育者)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|